20周年ツアー中のゴスペラーズ。
当時のバンマスだったお師匠のアシスタントとしてツアーに参加したのが1998年の「衣食住」ツアー。
その後2000年の、その名もずばり「2000」ツアーからマニピュレーターとしてバンド入り。
制作サポートはその年の春からでした。
音楽的なテクニック、何より音楽人としての精神性はこの方たちから学んだものがかなり大きい。
もう一人の師匠だと勝手に思ってます。
あ、五人か。
時は早い、がしかし、まだまだ続きます!
少なくとも彼らは続いていきます。
ずっと歌って、ずっとハモっていくはずです。
僕はメンバーのソロ活動時にも制作・ライブサポートに呼んで頂いて本当に有り難く、今後も必要とされるべく切磋琢磨しなくてはいけないなと思います。
何しろお互いが思っていたとしても、約束がない世界ですので。
かたやBABYMETAL。
僕がライブサポートに入ったのは2012年からでした。
彼女たちにとっては初のライブマニピュレーター。
今では生バンド体制が当たり前となっていますが当時はライブの世界観の一部を担う形での数曲のみの参加であったため、僕はDJ的に言えばワンマンバンドを請け負いつつバンドもサポートする状態でした。
ゴスペラーズと出会った1998年の前後に生まれ出た3姫と関わることになるとは、とかくこの世は面白いもんだと思います。
ゴスとは立ち位置が違った(スタッフ枠)ので出来ること…というか立ち入る範囲を意識的に離さなければいけないなと思い、それまでに培ってきたものをバンド視点からのアドバイス、みたいにはしませんでした。
その代わりスタッフサイドから出来ることはなるべくやったつもりです。
BABYMETALはステージングもその躍進の仕方もまるで0-400のドラッグレースのようだとずっと思っていました。
始まった瞬間にドン!と彼方へすっ飛んでいく。
しかも本物のそれと違い、コースはうねっているので1mmのハンドリングで大きく軌道が変わってしまいます。
その舵取りは本人たちは勿論のこと、周りの人々の慎重丁寧なサポートによって絶妙なバランスを取っていると思います。
こちらにもまた必要としてもらえるよう、日々切磋琢磨しなくてはいけないですね。
どこの現場でもそうですが、作曲・編曲・ディレクション・ライブサポート、僕の出来ることは些細なことでしかありません。
それでも、誰かの音楽のスパイスのひとつになれたのなら本当に嬉しいと思うのです。
僕は音楽の力は人を、人の心を動かすのだと、恥ずかしげもなく信じています。
自分の音楽、誰かの音楽。
趣味嗜好は違ってもそれは素敵なものである、そう思えたらもっと音楽が楽しくなると思います。